こんにちは、しおや(Shioyan_jp)です。
妻に勧められて、トーマス・マンの『トニオ・クレーゲル』を読みました。
主人公の苦悩には共感できる部分もありつつも、現代とは違う時代背景と恐らくは感覚の違いから、共感できない部分もありました。
この記事の書評スタンスは下記です。
- ネタバレあり。未読の人はこの記事は読まない方がいいかもしれません。
- 感想をつらつらと書きます。
- 自分が小説を書くために、参考にする部分を考えてみます。
目次
『トニオ・クレーゲル』を読んで感じたこと、3つ
「生活と芸術の間で狂いきれない平凡な自分」に共感
主人公のトニオは思索と苦悩が人一倍多い繊細で憂鬱、感性的な青年です。
一般的な凡人社会とはうまく合わず芸術界で頭角を現すのですが、芸術家と言い切れるほど狂いきれず、凡人社会での上位者に対して羨望と軽蔑の感情を同時に抱いています。
一言で言うとめんどくさい感じの主人公なのですが、共感はできました。
ぼくも感性的で苦悩しやすいタイプではあるのですが、アーティストとしてやっている人たちのように脇目も振らずそれだけに没頭できないというか、すごく凡人的なんです。
生活のことも考えるし、一般的な成功に魅力を感じる心が普通にあります。
どっちとも割り切れずなんだか中途半端に苦悩する自分、でもそんな自分も好きというかある時は陶酔してしまいもし、そういうところがやはり凡人的だと思うのです。
退屈に感じてしまった芸術論
ただ、トニオくんを見ているともどかしく感じる部分も多かったです。
絵を描いている女友達のところに行って延々と自分語りをするんですが、もっと空気を読んだ方が良いと思う…。
そういった苦悩に共感できる人は面白く読めたかもしれませんが、自分は退屈でした。
芸術に対する捉え方が時代の流れによって変わってしまったせいもあるかもしれません。
作中では「芸術=誘惑的」なものとして表現されています。今の時代感だと芸術は崇高なものとして捉えられていると思うのですが、感覚が違うように感じました。
退屈だったと言ってしまいましたが、トニオの自分語り部分がこの小説の一つのポイントです。
トーマス・マンの芸術感について恐らく代弁している部分だと思うので。
ここはぼくの芸術に対しての理解が浅いせいもあります。
芸術や文学に対して精通してまた読んだら、深く理解できるかもしれません。
体感として想像できないと、共感度も落ちる
異国の、昔の物語なので、時代背景や街並みにいまいち共感できなかったです。
時代背景は違えど人として感覚的に理解できる部分はあるのですが、深く共感できないというか…。
これも小説の問題ではなく自分の想像力の問題かなと思います。
体感として想像できるかどうかで、自分がその物語にどれだけ入り込めるかは変わってくるなと感じました。
『トニオ・クレーゲル』を読んで自分に活かすこと
ここからは自分用のメモです。
なぜか旅に出たくなる小説でした。
- 自分の苦悩を正直に書く。俗人的な苦悩、浅ましい憧れも含めて
- 中間にいる自分を客観的に認める。自分に酔わない
- 自分語りはブログのような自分のプラットフォームでして、人に迷惑をかけない
- 経験をつんで想像力を豊かにしたい。たくさんの人に会ったり、たくさんの本を読みたい
- 旅をして、いろいろな風景を見て、匂いや手触りまで感じたい