ワールドミュージックにハマっているしおや(Shioyan_jp)です。
新しい音楽に出会いたいとワールドミュージックを聴き始めたところ、ワールド系の音源の多くがフランスのレーベルから出てることに気づきました。
アフリカ系のアーティストがフランス語つながりでヨーロッパに行くのはわかるんですが、なぜかアジア系アーティストもけっこうフランスに行っている。。
「もしかしてワールドミュージックの中心地ってフランスなのかな?」ということがなんだか気になり始めました。
今回はそんな個人的疑問を解消するべく、フランスのレーベルから音源を発表しているアフリカ系以外のアーティストを勝手に3人ピックアップし、
なんでフランスの地から音楽を発信しているのか、探ってみたいと思います!
目次
フランスが中心なの?はとりあえず「イエス」
フランスがワールドミュージックの中心地なの?という問いに関しては、とりあえず「イエス」でよさそうです。
フランスは移民の国。
ワールドミュージックの一大拠点の一つであるアフリカとの交流も盛んで、膨大な数のアーティストがフランスから発信しています。
アフリカの音楽家はまずパリに行って世界に発信するというのがパターンになっています。
アメリカ系は似たような音楽が多いので、対抗する特徴の一つとしてフランスのレーベルは民族性・独自性を掲げているのかもしれません。
まあ音楽に中心も辺境もないんですけどね。
アフリカ圏以外の人たちがフランスに行く理由が気になるのでもうちょっと見てみましょう。
1. リフ・コーエン(Riff Cohen) fromイスラエル
一人目はイスラエル出身の女性シンガーソングライター リフ・コーエン。
実は彼女のことを紹介したくてこの記事を書き始めました。
ファーストアルバム”A Paris”(2013)がユニバーサルミュージックフランスのAZレコードから発売されていますね。
多文化融合オリエンタルポップ!
リフ・コーエンは1984年、チュニジア人の父とフランスで暮らしたアルジェリア人の母のもと、イスラエルのテルアビブに生まれました。
多文化のバックボーンを持つ彼女は、異なる文化の要素を少しずつ取り入れた自分だけの音楽をつくっています。
ガレージロック、アラビックなメロディ、北アフリカのリズムが組み合わさったオリエンタルポップといった感じですかね。
1st single “A Paris” / 1st Album “A Paris”(2013) 収録 (公式Youtubeチャンネルより)
リラックスした民族音楽的脱力ダンスチューン。 アメリみたいでかわいい。
色使いにこだわっていますね!
リフ・コーエンはどうしてフランスに。。?
リフはイスラエルのテルアビブ大学で音楽学を専攻し、その後2008年から2年間パリで暮らしています。
EMIミュージックフランスと契約寸前まで行きましたが結局折り合わず、イスラエルに戻ってきてからユニバーサルミュージックフランスのAZレコードと契約し2013年にファーストアルバムを発表しました。
リフがフランスから出した理由について予想してみます。
- グローバルな展開を見据えた販売戦略だった
- お母さんがフランスで暮らしたことがあるユダヤ系のアルジェリア人なので、フランスのバックボーンがあった
- フランス語で歌える
- イスラエルの国内マーケットが小さい
リフの場合、自然な流れでフランスから発信するに至ったように見えますね。
(セカンドはイスラエルから出してるので、そこまで国にこだわっていないかも)
* イスラエル中心部はインターナショナルな都市(サーフ・カルチャーもあり)。いろんな民族が集まって面白い文化が生まれているらしいです、一回ぜひ行ってみたい
2. フン・タン(Huong Thangh) fromベトナム
二人目はパリ在住のベトナム系女性シンガー フン・タン。
2000年頃から多くのアルバムを発表しています。
フランスから幻想的音楽を発信
アジア旅行に行きたいけど行けない時。
幻想的な音楽を聴いてチルアウトしたい時。
そんな時にぴったりなのがフン・タンの音楽です。
とろけたかったらまずフン・タン。
天上の世界に誘(いざな)ってくれます。
リンク先は名盤”Dragonfly”(2001)。
ジャズ・フュージョンサウンドなので聴きやすいですね。
ベトナム人有名ギタリスト グエン・レとの共同名義での”Fragile Beauty”(2008)、とろーん度の高いトラッド・アルバム”L’arbre Aux Reves(邦題:夢の成る木)”(2011)などなど、名盤が多いです。
やわらかくて優しくて軽くて懐かしい音楽。
故郷ベトナムの情景が目に浮かぶんですよね。。
ワールド方面のみでなくジャズ方面から知られているところもあり演奏は洗練されています。
垢抜けないローカルな演奏を期待している方には微妙かもしれません。
ベトナムの政治的混乱の中、フン・タンはフランスへ
フン・タンは1960年にベトナムのサイゴン(現ホーチミン)に生まれ、伝統芸能カイルオンの俳優・歌手の父のもと、歌の修行を積みながら育ちます。
1975年にベトナム戦争が終結した後、1977年にパリに亡命しました。
政治的背景から難民としてフランスに移動したようですね。。
1995年にベトナム人有名ギタリスト グエン・レと出会いジャズ、ワールドミュージックの世界との結びつきを強め、2000年代に発表したアルバムのヒットにより名を広めていきます。
* フン・タンはフーン・タンもしくはフォン・タインのように呼ぶのがベトナム語の本来の読みに近いらしいです。
3. ラマ・ギュルメ(Lama Gyurme) fromブータン
最後はブータン出身のチベット仏教の僧侶ラマ・ギュルメ。
1974年からパリに住んでいます。
荘厳なるヒーリングお経音楽をフランスからお届け
僧侶が音楽?という感じですがラマ・ギュルメの詠唱は音楽的で味わい深いです。
有名なのはフランス人キーボーディスト ジャン・フィリップ・リキエルとの共同名義作品”Rain of Blessing”。
このアルバム、最初はディープすぎてどうしたらいいかわからなかったです。
でも聴いているうちに敬虔な気持ちになってくるというか、ある種のヒーリング音楽なんだなあということがわかってきました。
目をつぶって、ヒマラヤ山脈の山頂で朝日を拝みながら祈る気分で聴いたらいい気がします。
あとヨガに合うと思いますきっと。
ラマ・ギュルメは宗教活動のためフランスへ?
ラマ・ギュルメは1948年にブータンに生まれ、幼い頃から僧院での生活を送りながら、宗教音楽に傾倒していきました。
チベット仏教カギュパ派の教師として活動するようになった彼は1974年、26歳の頃にパリに移っています。
現在はパリのKagyu Dzong CentreとノルマンディーのVajradhara Ling Centreを中心に宗教的活動を行なっているそうです。
前出のジャン・フィリップ・リキエルとは何枚もアルバムを残していて、音楽的活動も活発に行なっています。
ラマ・ギュルメは、まず宗教的理念が中心にあって、それを実現する手段の一つとして音楽活動を行なっているように見えますね。
布教活動をするためにフランスを選んだようです。はっきりとはわかりませんが。。
まとめ : フランスに行く理由は人それぞれ。めんどくさいことを考えるのはやめよう!
オススメアーティスト3人を紹介しながら、フランスに渡った理由を見てみました。
政治的事情、宗教的事情によりフランスに渡ったと思われるケースもあり、単純に「マーケットの中心がフランスだからフランスに行きました」ということではなさそうですね。
人それぞれ事情は異なるので、ひとまとめにはできないですよね。
めんどくさいことを考えるのはやめよう!と自分に向かって言いたい。
ワールドミュージックの中心はフランスなの?ってテーマで書いてみましたが、音楽に中心もクソもないですからね。
楽しく聴ければなんでもいいだろうという結論に至ってしまいました。